Welcome to Makibino official website!

Back to Top

春望

一年間。 短いようで作物が育つには十分な期間放置してしまった畑を開墾する。 またゼロからのスタートだ。 ここの園場は機械は入れずに自分の身体と感覚、先人達の知恵、そして溢れる自然を頼りに開拓していく。 土すらも雑草が生茂って見えない園場。 まずは足場を切り開いた。 鍬の使い方もわからずただがむしゃらに耕す。 もちろん体力や握力はどんどんなくなっていくが反比例するように活力がみなぎる気がする。 1日も作業をしたらくたくただけれども安心感と充足感に包まれる。 求めていた感覚だ。 テクノロジーが発展して簡単に時間を買える時代になった。それはタイムマシーンの様なもので素晴らしいと思うけれども求めているものとは何か違った。 時間はかかるし体力も消耗するけれども全て自分の責任と知恵も体力でやり切ることに生きている実感を投影しているのかもしれない。 開墾するまでに五日間かかった。 数字にすると短いが実際は先の見えない作業だった。 クローバーの根は深く細かく絡みなかなか取れない。 その種を去年は緑肥と草押さえとして播いていたから尚更量が多い、というよりもしっかり草を抑えて生えているおかげで背の高く小麦の天敵である雑草を抜き終えるとほとんどクローバー畑のようになった。 そのクローバーを鍬だけで取るのは想像以上に過酷だった。 この教訓はとても勉強になり、緑肥や草押さえとして播く豆科の種子は他に小麦の発芽時期になると枯れていくものもあることが中川さんへの相談でわかりそういった種子を今後は探していくことになる。 リセットされまたゼロに戻った畑。 一年後、ここが金色色に染まるかはわからない。 ただやれることはやってみようと思う。 誰のためでもない、 唯々その景色がみてみたい。 そうなった時自分はどんな感情に浸りそしてどんなパンを焼くのだろうか。 金色の糸に想いを馳せる。

昨日は天気が悪かったせいか今日の晴れ間は格別だった。 既に厨房の窯がある部屋は30°だ。 「光」は定期便の名称になった。 定期便「光」 パンのセットは2種類 灯と糧。 今までの僕のパンと同じだけれども少し違った、もっとパンが届く、食べる、そこに在る側に寄り添ったものを作っている。 パン以外にも、むしろそちらの方が大切なぐらい。 そんな淡々としているけれども光が差し込むようなものを作っています。 日記が始まってもう三ヶ月ぐらいか。 三ヶ月前と今では世界は一変してしまった。 同時に僕自身も暗闇をもがいた。 やっとパンが焼けている。 光を掴んだ。

今日で窯に火が灯ってから丁度一年が過ぎた。 とは言っても一年ぐらい窯はお休みしていたのでこれからが始まりとも言える。 急に気温が上がりパン生地も自分も順応にしくはくしている。 一日のスケジュールをぐっと前倒しにした。 日が昇る前にほとんどの作業を終えるような。 その分朝は早くなったけれど作業はお昼前には全て終わるから一日を長く感じれる。 「光」に向けて小麦の酵母とは別にライ麦の酵母も復活させている。 夏のライ麦パンのために。 「光」は定期便になる。 月に一度、自分の身近な光に焦点をあてられるような内容にしている。

家の前の最後の山桜が今日のにわか雨と共に次の季節へのバトンを渡していた。 クラウドファンディングのリターンを返しながら、種まきを兼ねたパンの発送も行い、その間に「光」の制作も行うのはかなりしんどい。 わかりやすくそういうタイミングは日記が書けない。 「光」は当初からかなり違う方向へと向かっている。 自分のために作っていた。自分の中で休業期間を消化するために。 だけれども、いざパンを焼き始めたらコロナがきた。そして緊急事態宣言が発令されて在宅の時間が増えた。 そんなタイミングで遅れていたクラウドファンディングのリターンが始まり、それはすごいタイミングでそんなこともあるかと思っていた。 「光」も1人で作る予定だった。 いまは4人で作っている。 自分のことを考えていたパン作りから届く人を想って作るものに変わり始めた。 関わってくれている人も休業期間がなければ出会ってなかったかもしれない人たちだ。 バラバラだと思っていたピースは案外と一つの絵を作ってくれている。 届いた場所のささやかな光がどんどん大きくなっていくようなものを作っている。 厨房から聞こえるハルカさんのミュートピアノの曲が心地いい。

昨日の夜、仕込みが終わり寝床についたと思うと、外で土砂降りの雨の音が聞こえ始めていた。 朝目覚めて今日も雨か、と少し仕込んだ種の状態を不安に思いながら眠い目を擦り厨房に向かう。 案の定種は勢いよく容器の外に飛び出していた。 雨の夜はいろいろ考えて仕込まないといけない。 「光」で作るパンはいつもと変わらないものを作る予定だ。 ただその時々で小麦は変わるし製粉仕立ての小麦はさらに不安定なので同じものはできないだろう。 それよりも「光」が届くということが今は大切だと思っている。 光はどこにでもある。 「光」はそんな些細な光を見えやすくするきっかけになるようなものを。 光は続いていく。 寝る間際に友から着信が。 どうやら酒を飲んでいるようだ。 個人と雇われの認識の差はこの事態でより明確になっているようだ。 彼とは地に足をつけつつも未来について大真面目に話せる数少ない友人だ。 明日も早いけれど、今日は楽しい夜更かしをしよう。

今日の朝は雨の音はせず静かな光で目が覚めた。 早朝に今日発送予定のパンを焼き上げ少し仮眠をとっていた。 二日間雨が降り続いた後の光にあたる植物たちの生命力はすごくて、葉一枚にしても葉脈から鼓動を感じるほどだ。 人も少し似ている。 春を急かすかのような雨だった。 季節は待ってくれない。 そんな時のパンはすごく不安定だ。 焼き上がったパンもまたその様相を物語っていた。 そんなパンもいい。 何回も送らせていただいている方には今を届けたい。 今だけのパンを。 一回パンを焼く度に理想に近づくようで遠くに行く。 「光」は当初一つのセットで考えていたけれど、続くようなものにする予定だ。 それもコロナの一件が落ち着くまでのタイトルと内容になる。 光のようなものを。

Processed with VSCO with av8 preset 昨日の夜、寝る前のしとしとと降る雨の音が好きで心地よく眠れる。朝、しとしとと降る雨の音を聞いて目が覚める。寝る前、ベッドに入ったときに聞く雨の音は好きだ。朝の雨の音は少し心がしょげる。寝る前の雨音は僕にとってささやかな光だ。早朝、気持ちよく起きれた時、まだ日が昇るかどうか、薄暗闇の中、庭に出る。同時に動物たちの気配漂う夜から徐々に植物たちに日の光が当たろうとする時間帯、これは自分だけのトワイライトだ。これも自分にとってのささやかな光だ。 友人とのたわいない会話。 気になる人を誘って食事に行けたとき。 思わぬありがとうの一言。 とあるバスの中で老人に席を譲る姿を見た時。 家族で囲む食卓。 子供の安らかな寝顔。 ーーーーーどこにでも誰の側にも光はある。今はそんな光が見やすくなっているのではないだろうか。それは蛍光灯の眩い光でもなく、大金を払って手に入れた憧れのものでもなく、一過性の場への投資でもなく、もっと本質的な光だ。「光」は、素朴だけれども根源的で継続性のある何かで、届いた方にその方なりの捉え方で光を感じてもらえるようなものにしたい。その人なりに、一筋の光を解釈してもらえるような。

しとしとと雨が降る音で目が覚める。 今日もまた一杯の水から一日が始まる。 生地は仕込んでいなくて、寝る前に窯から出したパンを袋詰めするところから始まる。 なんだか拍子抜けしてしまう1日の始まりだ。 こんな日は割り切って、すぐに仕込み始めることはせずにゆっくりといつもの時間になったら仕込みを始める。それまでは文章を読んだり、音楽を聞いたり、荷ほどきをしたり、想像を膨らませたりする。 自炊も定着してきて身体の調子も良くなってきた。 窯をフル活用すると、焼くことも、温めることも、蒸すこともできる。 野菜が美味しい丹波は直売所で野菜を買い溜めしておけば後はご飯だけ炊けば食べ物には事足りる。 夜、農家の友人に現況を聞くために少し電話で話した。 彼は今の状況を1月ぐらいから先読みしていて、しっかりと対策をして今を迎えていた。 関心するばかりだ。 久々に友人と話して気が引き締まった。 昨日の教訓を生かしてしっかり種を発酵させて仕込み直す。

早朝に今日も目を覚ます。水道の蛇口を捻り一杯の水から一日が始まる。 昨日は新しい仕込み方で、より食べた後に何も残らない水に近いパンを目指して、想像して仕込んだ生地を見に厨房に向かう。 予想通り発酵はゆっくりでまだまだ時間はかかりそうだ。 成熟し切っていない種で仕込むとこのように大幅に違う結果を生む。なんとなく予想はついているのだけれども実際にやってみる。そこで失敗することで、初めて自らの経験になる。なぜならそこには労力、資本、時間、という一度使うと帰ってはこないものが付随するからだ。 こうして昨日は見事に大失敗をした。 もう二度と同じことはしたくないと心から思う。この経験が何より大切だ。 失敗は誰だってしたくはないけれど、成功の先に本質は見えてこない。 今日の失敗はおそらく種の拡散がうまくいかなかったことに端を発している。 未熟な種で酸味をコントロールしようとした結果逆に発酵に時間がかかり菌がグルテンを破壊し切ってしまった。 そんなパンは色付きも悪く、火抜けも良くない、重たくて酸の強いものになる。 種はバイバイゲームで拡散するうまく成熟した種は発酵もスムーズに進む。 自分たちが生きる世界の縮図がまさに細菌の世界だ。 自分が今、パンの気泡から世界をのぞいていることに意味があるのかもしれない。 自然も人間もうまく共存して良い発酵を醸せば良いだけなんだ。 良い種が増えればあとは時間が解決してくれる。 なぜなら種は拡散しようとするからだ。 たんぽぽが綿毛を風に乗せて飛ばすように。 ミツバチたちが花粉をつけて旅をして花々を受粉させるように。 自分たちの子供を精一杯愛するように。 そう、種の拡散も「光」には込めている。

朝は一杯の水から始まる。 うちは幸いなことに美味しい水が蛇口を捻ると出る。 水が好きで山に汲みに行ったりもしていたけど、今はこの水で十分美味しいし安心してパンにも使えると思っている。 美味しいと思う水は味がない。全く主張してこない。それが主張なのだけれども。そういう水はなかなか出会えない。 うちで使う水はとにかく美味しさがある。それは丹波という地域が元々軟水が出る地域だからだ。 日本で取れる多くの水が軟水であるように日本人には柔らかい水が心地よく感じる。 パンには少し硬い水が合う、それは出身の違いだろうか。 飲んだ後何も残らない水のように、何も残らないパンがいい。 「光」にはそんな方向に向かう過程のパンが入る。 残したいことはする。 身体には残らないものを作りたい。