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4月 2020

家の前の最後の山桜が今日のにわか雨と共に次の季節へのバトンを渡していた。 クラウドファンディングのリターンを返しながら、種まきを兼ねたパンの発送も行い、その間に「光」の制作も行うのはかなりしんどい。 わかりやすくそういうタイミングは日記が書けない。 「光」は当初からかなり違う方向へと向かっている。 自分のために作っていた。自分の中で休業期間を消化するために。 だけれども、いざパンを焼き始めたらコロナがきた。そして緊急事態宣言が発令されて在宅の時間が増えた。 そんなタイミングで遅れていたクラウドファンディングのリターンが始まり、それはすごいタイミングでそんなこともあるかと思っていた。 「光」も1人で作る予定だった。 いまは4人で作っている。 自分のことを考えていたパン作りから届く人を想って作るものに変わり始めた。 関わってくれている人も休業期間がなければ出会ってなかったかもしれない人たちだ。 バラバラだと思っていたピースは案外と一つの絵を作ってくれている。 届いた場所のささやかな光がどんどん大きくなっていくようなものを作っている。 厨房から聞こえるハルカさんのミュートピアノの曲が心地いい。

昨日の夜、仕込みが終わり寝床についたと思うと、外で土砂降りの雨の音が聞こえ始めていた。 朝目覚めて今日も雨か、と少し仕込んだ種の状態を不安に思いながら眠い目を擦り厨房に向かう。 案の定種は勢いよく容器の外に飛び出していた。 雨の夜はいろいろ考えて仕込まないといけない。 「光」で作るパンはいつもと変わらないものを作る予定だ。 ただその時々で小麦は変わるし製粉仕立ての小麦はさらに不安定なので同じものはできないだろう。 それよりも「光」が届くということが今は大切だと思っている。 光はどこにでもある。 「光」はそんな些細な光を見えやすくするきっかけになるようなものを。 光は続いていく。 寝る間際に友から着信が。 どうやら酒を飲んでいるようだ。 個人と雇われの認識の差はこの事態でより明確になっているようだ。 彼とは地に足をつけつつも未来について大真面目に話せる数少ない友人だ。 明日も早いけれど、今日は楽しい夜更かしをしよう。

今日の朝は雨の音はせず静かな光で目が覚めた。 早朝に今日発送予定のパンを焼き上げ少し仮眠をとっていた。 二日間雨が降り続いた後の光にあたる植物たちの生命力はすごくて、葉一枚にしても葉脈から鼓動を感じるほどだ。 人も少し似ている。 春を急かすかのような雨だった。 季節は待ってくれない。 そんな時のパンはすごく不安定だ。 焼き上がったパンもまたその様相を物語っていた。 そんなパンもいい。 何回も送らせていただいている方には今を届けたい。 今だけのパンを。 一回パンを焼く度に理想に近づくようで遠くに行く。 「光」は当初一つのセットで考えていたけれど、続くようなものにする予定だ。 それもコロナの一件が落ち着くまでのタイトルと内容になる。 光のようなものを。

Processed with VSCO with av8 preset 昨日の夜、寝る前のしとしとと降る雨の音が好きで心地よく眠れる。朝、しとしとと降る雨の音を聞いて目が覚める。寝る前、ベッドに入ったときに聞く雨の音は好きだ。朝の雨の音は少し心がしょげる。寝る前の雨音は僕にとってささやかな光だ。早朝、気持ちよく起きれた時、まだ日が昇るかどうか、薄暗闇の中、庭に出る。同時に動物たちの気配漂う夜から徐々に植物たちに日の光が当たろうとする時間帯、これは自分だけのトワイライトだ。これも自分にとってのささやかな光だ。 友人とのたわいない会話。 気になる人を誘って食事に行けたとき。 思わぬありがとうの一言。 とあるバスの中で老人に席を譲る姿を見た時。 家族で囲む食卓。 子供の安らかな寝顔。 ーーーーーどこにでも誰の側にも光はある。今はそんな光が見やすくなっているのではないだろうか。それは蛍光灯の眩い光でもなく、大金を払って手に入れた憧れのものでもなく、一過性の場への投資でもなく、もっと本質的な光だ。「光」は、素朴だけれども根源的で継続性のある何かで、届いた方にその方なりの捉え方で光を感じてもらえるようなものにしたい。その人なりに、一筋の光を解釈してもらえるような。

しとしとと雨が降る音で目が覚める。 今日もまた一杯の水から一日が始まる。 生地は仕込んでいなくて、寝る前に窯から出したパンを袋詰めするところから始まる。 なんだか拍子抜けしてしまう1日の始まりだ。 こんな日は割り切って、すぐに仕込み始めることはせずにゆっくりといつもの時間になったら仕込みを始める。それまでは文章を読んだり、音楽を聞いたり、荷ほどきをしたり、想像を膨らませたりする。 自炊も定着してきて身体の調子も良くなってきた。 窯をフル活用すると、焼くことも、温めることも、蒸すこともできる。 野菜が美味しい丹波は直売所で野菜を買い溜めしておけば後はご飯だけ炊けば食べ物には事足りる。 夜、農家の友人に現況を聞くために少し電話で話した。 彼は今の状況を1月ぐらいから先読みしていて、しっかりと対策をして今を迎えていた。 関心するばかりだ。 久々に友人と話して気が引き締まった。 昨日の教訓を生かしてしっかり種を発酵させて仕込み直す。

早朝に今日も目を覚ます。水道の蛇口を捻り一杯の水から一日が始まる。 昨日は新しい仕込み方で、より食べた後に何も残らない水に近いパンを目指して、想像して仕込んだ生地を見に厨房に向かう。 予想通り発酵はゆっくりでまだまだ時間はかかりそうだ。 成熟し切っていない種で仕込むとこのように大幅に違う結果を生む。なんとなく予想はついているのだけれども実際にやってみる。そこで失敗することで、初めて自らの経験になる。なぜならそこには労力、資本、時間、という一度使うと帰ってはこないものが付随するからだ。 こうして昨日は見事に大失敗をした。 もう二度と同じことはしたくないと心から思う。この経験が何より大切だ。 失敗は誰だってしたくはないけれど、成功の先に本質は見えてこない。 今日の失敗はおそらく種の拡散がうまくいかなかったことに端を発している。 未熟な種で酸味をコントロールしようとした結果逆に発酵に時間がかかり菌がグルテンを破壊し切ってしまった。 そんなパンは色付きも悪く、火抜けも良くない、重たくて酸の強いものになる。 種はバイバイゲームで拡散するうまく成熟した種は発酵もスムーズに進む。 自分たちが生きる世界の縮図がまさに細菌の世界だ。 自分が今、パンの気泡から世界をのぞいていることに意味があるのかもしれない。 自然も人間もうまく共存して良い発酵を醸せば良いだけなんだ。 良い種が増えればあとは時間が解決してくれる。 なぜなら種は拡散しようとするからだ。 たんぽぽが綿毛を風に乗せて飛ばすように。 ミツバチたちが花粉をつけて旅をして花々を受粉させるように。 自分たちの子供を精一杯愛するように。 そう、種の拡散も「光」には込めている。

朝は一杯の水から始まる。 うちは幸いなことに美味しい水が蛇口を捻ると出る。 水が好きで山に汲みに行ったりもしていたけど、今はこの水で十分美味しいし安心してパンにも使えると思っている。 美味しいと思う水は味がない。全く主張してこない。それが主張なのだけれども。そういう水はなかなか出会えない。 うちで使う水はとにかく美味しさがある。それは丹波という地域が元々軟水が出る地域だからだ。 日本で取れる多くの水が軟水であるように日本人には柔らかい水が心地よく感じる。 パンには少し硬い水が合う、それは出身の違いだろうか。 飲んだ後何も残らない水のように、何も残らないパンがいい。 「光」にはそんな方向に向かう過程のパンが入る。 残したいことはする。 身体には残らないものを作りたい。

日の出前に目が覚め、変わらずにもう少し寝たいな、と思いながら眠い目を擦り、厨房に向かう。 扉を開けると少し違和感がある。部屋の温度を確かめるといつもよりかなり暖かい夜だったようだ。 慌てて捏ね桶の蓋を開き生地を確認するとコーヒーをいれる暇もなく生地が窯に入りたがっていた。 そこから焼き上げまでの速さはかなりのものだったようだ。気づいたら10時を迎えていた。打ち合わせの予定は明日だと記憶していたけれど念のため、メールを確認すると9:54に「後ほど楽しみにしています」というメッセージがあった。 打ち合わせは今日だったようだ。 先方に30分待っていただいて急いで窯出しをして準備した。 当初「光」はそのイメージに合うようなパンを作る、という主旨だったが2月14日、日記春望を書き始めた日から今日までで世界は一変してしまった。 不思議だけれども春望というタイトル、「光」という言葉は今、より強く自分の心に響く。 「光」を作る自分にも関わってくれる人にも僅かな隙間から漏れ出るような光が差し込むようなものにしようと舵を切った。 薪が届いた。 今使っている薪は近くの森林組合がうち用に細かく割ってくれたものだ。あと3〜4ヶ月はこれで保ってくれる。 全量で1200キロぐらいの薪を雨で濡れる前に窯の周りに積み重ねた。薪の乾燥と窯の保温も兼ねている。 それが終わると丁度パンも冷めた頃で梱包作業が始まる。 15時を迎えていた。 あまりにもお腹がすいたので昨日窯の余熱で調理した里芋に塩を振ってかじった。 美味しかった。感動するくらい美味しかった。 朝から何も口にしていなくて空腹のあまりに食べたからだ。 この感覚はスペイン巡礼中にお腹が空き切って歩けなくなって、バックパックに唯一残っていたカチカチのバゲットに前日の宿でもらったチョコクッキーを食べた時の美味しさに似ていた。 後にも先にもこの時食べたサンドイッチが自分が今まで食べたもので一番美味しかったものだ。感動したものかな。 美味しさに限らず大切なことは実は自分のすぐ近くにあるのかもしれない。 ただ少し、いろいろなことだったりものが溢れ過ぎていて見えにくくなっているのかもしれない。 今はもしかしたらそんな身近なことに光を当てる、そして本当に大切のことを見つめ直すタイミングなのかもしれない。 少なくともうちのパンはそんなふうにありたい。

昨日仕込んだ生地は気持ちよさそうに朝を迎えてくれたようだ。 種の継ぎ方を変えて初めて仕込んだ生地だったが、大丈夫そうだ。 窯を温めている最中、もうあと少しで窯入れというタイミングでふと外を見ると雪が降っていた。 珍しいなぁと思い外に出てみると桜の花びらが風で舞っていたので。これだけの桜吹雪は久々だった。しばらく見入っていた。 雨で散りゆく桜、風で舞い散る桜、どちらも趣があって好きだけど、今は風で華やかに舞い散って欲しい。 世界にはしばらく雨が降り続いているから。 今日のパンもよかった。 いつもそう言う。 口癖だ。 種の継ぎ方を変えたらパンが変わった。 人もと植物もパンも、生きとし生けるものには種がありその成り立ちで生まれるものも変わる。 毎日が発見と勉強の連続だ。 ずっと厨房にいるけどそんな期間があっても悪くないと思った。

朝早く目を覚まして歯を磨きキリッと冷えたうちの美味しい水で顔を洗い鏡と睨めっこして一日が始まる。 パンを焼いて、次の日はその中で見つかったささやかな改善をしていく。繰り返していくうちにやっと自分の厨房になってきた。 あるところまで到達すればあとはひたすらパンを焼くだけなのだ。そのあるところまで、もうすぐな気がする。 やっと億劫になっていた事務所の整理に着手できた。 掃除をして空気を入れ替えて全ての作業を自分1人でこなせるように整えていく。 こういったことをしっかりと淡々とこなしていくことが自分にとっての日々是好日だ。 こんな時だからこそ、この言葉の重みが伝わる。 大航海時代が始まる。オールを持とう。 自分はパン屋として乗船だ。