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春望

カーテンから洩れる光で目が覚める。初めて、生まれて初めて布団を頭の上まで被っていた。それだけ光が強かったのだろう。音楽をつけてコーヒーを入れた。この部屋で過ごすのも後わずかだ。それとは反比例に居心地が良くなってきていて離れるのが寂しい気持ちも募る。 浅草まで用事を済ませに行く。変わらず外国人も多い。変わったのは口元ぐらいか。それでも訪れたいと思う日本の魅力とはなんだろうか。 こちらで仲良くなった方に多く焼いてしまったパンデピスを渡した。口に合えば幸いだ。話をしていて全く違う業種でも不思議な繋がりがあるなぁという話をした。 夕方、バイト先の手伝いに行き最後の仕事を終えた。本当にこのお店には頭が上がらないぐらいお世話になった。感謝。 なんだか今日は疲れた。そんなことを予想して家を出る前に寝る準備をしていてよかった。 倒れ込むように布団に入った。

日の光で目が覚めた。物が少なくなると日の光なんだか強く感じる。光が部屋に占める割合が多くなっているんだろう。気持ちがいい。天気が良かったので窓を開ける。洗濯をしながら掃除をさっと済ませた。コーヒーと茹で卵と残りのパンで朝ごはんを済ませる。今日の茹で卵の茹で加減はレアというところか。 家の掃除をしていて25年以上前のビデオカメラがカセットと共に出てきた。覚えていないが友人が働くカフェの裏手にある公園での記録が残っていた。思い出をたぐり寄せるようにその公園に足を運んだ。本当に覚えていないけれど確かに昔僕はそこにいたようだ。霧が霞む早朝の景色を友人が撮った写真でみせてもらったのだけれども綺麗だった。日本ではないような、ベルリンみたいだ。そこのカフェでもコーヒーを一杯だけ飲んだ。ここでしか飲めないカプチーノだ。友人に大目に作ったパンデピスを渡した。うまく使ってくれると嬉しい。 天気の良い日になかなか森に行けていなかったのでここぞと計りにまた森へ。光が差し込む森はまた、そうでない時とは違う魅力がある。風に揺れる木々の葉の音が好きだ。贅沢な演奏会だ。 夜は少しバイト先の手伝いをさせてもらった。10年近くお世話になっているお店と家族のようでこの場所があるからまた帰ってこようと思える。 身体も鈍っているからパンを焼き始めたら荒療治になるなぁ、と少し不安になったけれども僕にはそれが合っているなぁとも思う。 夜中の家から見える星々。今日は一段とくっきり見える。明日も良い天気になりそうだ。 「光」には思い出の断片も一緒に詰め込でいこう。

毎日毎日部屋の物が少しずつ少なくなる。気持ちも軽やかになる。 正直2月に入った時はパンを焼かないといけない、そう思う気持ちが強くて能動的にパンが焼きたい、とは思えなかった。日記を書きはじめてからだろうか、早くパンを焼きたいと思うようになった。石臼を小麦用に目立ててもらう都合と23日に東京で予定が決まっていたのでその日まではいるしかない。焼きたい分もどかしさもあるけれどそれもまた必要だったんだ。 家電製品もほとんどなくなった部屋は気持ちがいい。自分がいたくなる空間はこういう空間なんだ、と妙に納得した。いたいと思う空間でパンを作る。そこも「光」を作るにあたって考えているところだ。少し中途半端だった厨房を整える。帰ったらそこから始めようと思う。 夕方に森に行く。1時間ほどお気に入りの場所で本を読んだ。それから学生の頃に働いていたバイト先で永遠の付け払いで夜ご飯をいただき帰宅。この日は自家製スープのラーメンが出てきた。というよりもお願いしたのだけれども。 朝焼き上げたパンデピスを梱包した。どんな風にテーブルに上るのか想像しながら眠ろう。その食卓に笑顔があればいいなぁ。 photo by 11ayaka3

「光」を作り始めてしまったので終わりを決めなければならない。さて、終わりはどのようにやってくるのだろうか。人は命を全うすると終わるのだろうか。その後は旅立った君にしかわからない、暗闇が果てしなく広がっている無の状態なのかもしれない。光が差し込む豊かな場所なのかもしれない。 絵を描く人に尋ねてみたことがある。あの絵の終わりはどう決めるのですか?そう尋ねると、その方は少し黙って無愛想にこう言った。 「その時があるのよ。それはもう感覚。私が終わりと思ったら終わりなの。」 小さかった僕にはその時はあまりその答えがよくわからなかった。 パンを作り始めて感じるのだけれども、どこでそのパンを完成とするか、そこに答えはなかった。パンは焼き上げて誰かの元に届きそこには笑い声や些細な話、ちょっとした夫婦喧嘩、もしかしたらプロポーズの席かもしれない場所に同席して、その空間にいる人たちの命の糧となって終わりだと思うのだけれども、果たして自分が作るパンをこれが完成で終わりだ、そう決められる瞬間は来るのだろうか、いや、決められるのだろうか。作っては壊し、作っては壊し、その繰り返しにまた新たな光を見つけ進んでいく。 物づくりに終わりはない。 だけれども「光」には終わりを決めてあげなければならない。 光は少しずつ、少しずつだけれども誰の元にも届くものだから。

今日は東京まであるものを受け取りに行った。実家に帰ってきて電車では何回か訪れていたけれども車で行くのは久しぶりだ。 帰ってきていろいろなご縁をいただいたのだけれども、再開後、直接パン作りに大きく影響してくることは石臼が大きくなることだろう。 今日は国産の石臼の引き取り日だった。長くやられていたお蕎麦屋さんが店を閉めるということで使われなくなってしまった石臼だ。ミツカさんという会社のもので本社が浅草にあり、帰りに寄らせていただいて目立てを小麦ようにしてもらうようにお願いすることができた。突然の連絡だったにも関わらず快く引き受けてくれた社長さんには感謝しかない。お話させていただくといろいろとご縁がある方で世間は狭いなぁと感じた。ミツカさんの石臼を使うパン屋がマイノリティーなのでそれもそうかとも思った。 石臼で小麦を挽くという行為は古代メソポタミア以前まで遡るのではいないだろうか。それこそ硬い小麦は数少ない栄養源の一つで生命の糧だったのだろう。硬いままでは食べられないので落ちている石で磨り潰し始めたことが起源なのだろうか。そこで磨り潰して粉になった小麦粉になんらかの影響で水がかかった。雨になる小麦が入っていたところに雨が降ったのではないだろうか。そのまま放置された小麦粉は数時間、いや数日経つと何やら果実のような甘みと酸味を伴う匂いを放ち始めた。さすがに生では食べられないと知っていた古代人達はそれを適当に丸めて焼いた。なんとも言えぬいい香りで焼き上がったそれがパンの起源なのではないだろうか。こういう妄想はいつしても楽しく夢がある。古代に想いを馳せる。 少し専門的な話だけれどもどうやらヨーロッパの石臼と日本の石臼では挽かれた小麦の性質が少し変化するらしい。ヨーロッパ式の高速回転の石臼を使った後に日本製の低速の石臼を使うとパンの生地がダレるようだ。これは酵素が大きく関与しているようで低速の石臼は小麦の酵素が残っていて発酵途中で酵素分解が起こりやすいのではないか、という見解だ。 何が良い悪いということではなく、酵素分解による小麦の甘みの醸し方と発酵による甘みの醸し方とその中間と、そこに乳酸菌と酵母菌の生存競争が絡み合うと終わりのない旅のようだ。 …………….. 先日○のお話を聞いた。 全ては○である。太陽がが登りそして沈み夜がやってくるそしてまた太陽が昇るように。良い時もあれば落ちる時もある。そんなお話だった。 ふいに、今日思い出した。 石臼もまた綺麗な○を描いている。それは生命の糧である小麦を挽く尊いものだ。ゆっくりゆっくり、小麦にできるだけ負荷がかからないように。さら、さら、さら、そんな優しい澄んだ音を立てながら。 そんな音を想像しながら今日は眠ろう。

もう当分来ることもない、まして実家もないので帰って来る理由も少なくなる生まれ育った場所。 最後にとか、そういう気持ちではなくて、この機会に歩いて、触れて、空気を感じてみようと、思い出の場所に向かった。 自分の今は中学生時代にあると思っているんだけれども、そんなかけがえのない期間を過ごした学校。 部活をサボって気になる女の子と暗くなるまで話していた秘密の場所。こんなにおっきな杉の木があったんだと今更気づいた。先生に見つからないように、ずーっと、そっと、見守ってくれてたのかな。 落ち込むと1人になりたくてやってきていた演奏会を開いたら最高なんじゃないかと思う秘密の森。 見えないところで全て繋がっている。 訪れたどの場所も今の自分が恥ずかしくなるくらいエネルギーに満ち溢れていた。また少し、パンを焼く力を分けてもらえた。 パンを作る技術や知識は確かに大切だし、発酵に関しても興味があるし探求していきたいとも思う。ただ、これから大切になってくることはもっと別な場所にあると思っていて、そこはテクノロジーでも代えが効かないもので僕らが次の世代に伝えていくとこでもある。 心が豊かなパン作りを。 心が豊かになる場所へ。 photo by yama

光は身近であって、だけれどもなかなか見えにくいものだ。 僕自身休業した半年間がなかったら「光」を作ろうとは思わなかったし、ここまで光について想いを巡らすこともなかったかもしれない。 孤独と闇 聞いても見ても、書いても、良い印象は受けない字面だ。 だけれども光は必ずここに存在していた。 わずかでもほんの一握りでも見えていれば大丈夫。そんな一筋の光は隙間から木漏れ日のように広がっていく。そんな尊い光をどうやったらパンとして形にできるのか、あまり難しいはなくて、シンプルに、簡単に、頭よりも手が動くように作っていきたい。先人達が僕らに繋いでくれたパンというものを。それだけでも光輝くものを。