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春望

早朝に今日も目を覚ます。水道の蛇口を捻り一杯の水から一日が始まる。 昨日は新しい仕込み方で、より食べた後に何も残らない水に近いパンを目指して、想像して仕込んだ生地を見に厨房に向かう。 予想通り発酵はゆっくりでまだまだ時間はかかりそうだ。 成熟し切っていない種で仕込むとこのように大幅に違う結果を生む。なんとなく予想はついているのだけれども実際にやってみる。そこで失敗することで、初めて自らの経験になる。なぜならそこには労力、資本、時間、という一度使うと帰ってはこないものが付随するからだ。 こうして昨日は見事に大失敗をした。 もう二度と同じことはしたくないと心から思う。この経験が何より大切だ。 失敗は誰だってしたくはないけれど、成功の先に本質は見えてこない。 今日の失敗はおそらく種の拡散がうまくいかなかったことに端を発している。 未熟な種で酸味をコントロールしようとした結果逆に発酵に時間がかかり菌がグルテンを破壊し切ってしまった。 そんなパンは色付きも悪く、火抜けも良くない、重たくて酸の強いものになる。 種はバイバイゲームで拡散するうまく成熟した種は発酵もスムーズに進む。 自分たちが生きる世界の縮図がまさに細菌の世界だ。 自分が今、パンの気泡から世界をのぞいていることに意味があるのかもしれない。 自然も人間もうまく共存して良い発酵を醸せば良いだけなんだ。 良い種が増えればあとは時間が解決してくれる。 なぜなら種は拡散しようとするからだ。 たんぽぽが綿毛を風に乗せて飛ばすように。 ミツバチたちが花粉をつけて旅をして花々を受粉させるように。 自分たちの子供を精一杯愛するように。 そう、種の拡散も「光」には込めている。

朝は一杯の水から始まる。 うちは幸いなことに美味しい水が蛇口を捻ると出る。 水が好きで山に汲みに行ったりもしていたけど、今はこの水で十分美味しいし安心してパンにも使えると思っている。 美味しいと思う水は味がない。全く主張してこない。それが主張なのだけれども。そういう水はなかなか出会えない。 うちで使う水はとにかく美味しさがある。それは丹波という地域が元々軟水が出る地域だからだ。 日本で取れる多くの水が軟水であるように日本人には柔らかい水が心地よく感じる。 パンには少し硬い水が合う、それは出身の違いだろうか。 飲んだ後何も残らない水のように、何も残らないパンがいい。 「光」にはそんな方向に向かう過程のパンが入る。 残したいことはする。 身体には残らないものを作りたい。

日の出前に目が覚め、変わらずにもう少し寝たいな、と思いながら眠い目を擦り、厨房に向かう。 扉を開けると少し違和感がある。部屋の温度を確かめるといつもよりかなり暖かい夜だったようだ。 慌てて捏ね桶の蓋を開き生地を確認するとコーヒーをいれる暇もなく生地が窯に入りたがっていた。 そこから焼き上げまでの速さはかなりのものだったようだ。気づいたら10時を迎えていた。打ち合わせの予定は明日だと記憶していたけれど念のため、メールを確認すると9:54に「後ほど楽しみにしています」というメッセージがあった。 打ち合わせは今日だったようだ。 先方に30分待っていただいて急いで窯出しをして準備した。 当初「光」はそのイメージに合うようなパンを作る、という主旨だったが2月14日、日記春望を書き始めた日から今日までで世界は一変してしまった。 不思議だけれども春望というタイトル、「光」という言葉は今、より強く自分の心に響く。 「光」を作る自分にも関わってくれる人にも僅かな隙間から漏れ出るような光が差し込むようなものにしようと舵を切った。 薪が届いた。 今使っている薪は近くの森林組合がうち用に細かく割ってくれたものだ。あと3〜4ヶ月はこれで保ってくれる。 全量で1200キロぐらいの薪を雨で濡れる前に窯の周りに積み重ねた。薪の乾燥と窯の保温も兼ねている。 それが終わると丁度パンも冷めた頃で梱包作業が始まる。 15時を迎えていた。 あまりにもお腹がすいたので昨日窯の余熱で調理した里芋に塩を振ってかじった。 美味しかった。感動するくらい美味しかった。 朝から何も口にしていなくて空腹のあまりに食べたからだ。 この感覚はスペイン巡礼中にお腹が空き切って歩けなくなって、バックパックに唯一残っていたカチカチのバゲットに前日の宿でもらったチョコクッキーを食べた時の美味しさに似ていた。 後にも先にもこの時食べたサンドイッチが自分が今まで食べたもので一番美味しかったものだ。感動したものかな。 美味しさに限らず大切なことは実は自分のすぐ近くにあるのかもしれない。 ただ少し、いろいろなことだったりものが溢れ過ぎていて見えにくくなっているのかもしれない。 今はもしかしたらそんな身近なことに光を当てる、そして本当に大切のことを見つめ直すタイミングなのかもしれない。 少なくともうちのパンはそんなふうにありたい。

昨日仕込んだ生地は気持ちよさそうに朝を迎えてくれたようだ。 種の継ぎ方を変えて初めて仕込んだ生地だったが、大丈夫そうだ。 窯を温めている最中、もうあと少しで窯入れというタイミングでふと外を見ると雪が降っていた。 珍しいなぁと思い外に出てみると桜の花びらが風で舞っていたので。これだけの桜吹雪は久々だった。しばらく見入っていた。 雨で散りゆく桜、風で舞い散る桜、どちらも趣があって好きだけど、今は風で華やかに舞い散って欲しい。 世界にはしばらく雨が降り続いているから。 今日のパンもよかった。 いつもそう言う。 口癖だ。 種の継ぎ方を変えたらパンが変わった。 人もと植物もパンも、生きとし生けるものには種がありその成り立ちで生まれるものも変わる。 毎日が発見と勉強の連続だ。 ずっと厨房にいるけどそんな期間があっても悪くないと思った。

朝早く目を覚まして歯を磨きキリッと冷えたうちの美味しい水で顔を洗い鏡と睨めっこして一日が始まる。 パンを焼いて、次の日はその中で見つかったささやかな改善をしていく。繰り返していくうちにやっと自分の厨房になってきた。 あるところまで到達すればあとはひたすらパンを焼くだけなのだ。そのあるところまで、もうすぐな気がする。 やっと億劫になっていた事務所の整理に着手できた。 掃除をして空気を入れ替えて全ての作業を自分1人でこなせるように整えていく。 こういったことをしっかりと淡々とこなしていくことが自分にとっての日々是好日だ。 こんな時だからこそ、この言葉の重みが伝わる。 大航海時代が始まる。オールを持とう。 自分はパン屋として乗船だ。

少しだけ仮眠をとり昨日の夜仕込んだ生地を焼く。少しずつパンを作ることに意識も身体も順応してきた。 今日のパンは桜色だった。パンを焼き始めた頃は焦げる寸前の黒に近い茶色まで焼き込まれているパンに惹かれていた。今はパンが焼き上げられた時に気持ち良さそうな色であればどんな色でもいい、それもまた歳とともに季節の移り変わりのように移ろいゆくものだと思う。 「光」は五月上旬を目処に完成させる予定だ。春望、光、どちらもコロナが世界中で猛威を奮い始める少し前から書き始めたもだったがこうして今の状況と照らし合わせた時、何か意味があるように思う。 パンの内容よりも「光」そのもので誰かのささやかな糧になるような内容にしよう。 僕がそうであったようにどんな時でも、どこにでも、 光はそこにあった。 完成まで自分ができることはただパンを焼くこと。そしてしっかりと届けること。 その瞬間瞬間も光の軌跡なんだ。

Processed with VSCO with aga2 preset 以前の投稿から2週間近くの時間が過ぎてしまった。 この間に大きく世界は、日本の情勢は変動した。 自分はとにかくパンをうまく自分のルーティンにはめ込んで、配送、事務作業、パンの製造、すべてを自分1人で行えるようにあれこれ考えながら日々を過ごしていた。 同時にコロナ関連の情報も気にかけていた。 自分はパン屋でそれは特殊技能だ。だけれどもだからこそできることはないか。うちのパンでできることを模索している。 この日記のタイトルは春望。 パンのセットの名前は「光」。 これは今の情勢を何か暗示していたかのように思えてならない。 少し急いで「光」を形にしようと思う。 自分が光に助けられているように、誰かのささやかな光になれるように。関連記事

配送を始める日。 試しに夏場の作り方に戻してみた。 種を多めに入れて短時間の発酵でリズムよく作るやり方だ。 生地を作るまでは良かった。生地が出来上がった後思いの外発酵が早い。季節が変わろうとしているのだ。 最後にブリオッシュを捏ねたのが失敗だった。バターや砂糖、卵など普通のブリオッシュに比べて割合は少ないがやはり重い生地になるので発酵が遅い。 けれどもカンパーニュとブレの発酵はスムーズにいっている。どこで成形するか迷う。 そうこうしているうちにカンパーニュから発酵完了の合図がきた。 生地を分割して成形。ブレも同じ工程を繰り返す。 ブリオッシュはまだこれからだったが種の量も多いのですぐに成形しても大丈夫だろうと安易に成形。そのあとも温かくなる厨房で2時間ほど置いたので大丈夫だろうと思っていた。 窯の中で洗った天板を乾かしているのを忘れてそのまま着火してしまった。グラ(火を吹くパーツ)は一度稼働したら火を落とさないと取れない。生地の発酵も待ってはくれないのでそのまま燃やし続けた。 1時間ちょっと燃やしてグラを外し窯入れ。 全体的に長時間発酵をとっていないので生地が小さく見える。 ブレは型には入れず布取りでやっている。ストレートだと生地がだれて難しい。やはりこのやり方は今の作り方には向いていない。 気づくとパンの作り方ばかりになってしまったけどこうやって「光」に向かっていく。 失敗は身銭を切ってでもしたい。 失敗でしか前には進めない。

朝、昨日仕込んだ種の状態を見にいく。 まだ発酵は完了していない。 やはり自然発酵でこういう環境でのパン作りは一朝一夕にはいかない。だから楽しい。 しばらくは時間を投資してパンに向き合ってやりやすく納得のいくやり方を、模索していこう。 種の発酵を待つ間、掃除やら事務作業やら明日の仕込みの計算をしてそれに合わせて麦も挽いた。自ずと自家製粉は挽きたてを使えることになった。製粉量が増えたらもう一台の製粉機を稼働させよう。 夜、もう一段階種を繋ぎ明日に備えて布団に入った。 バタバタと一日が過ぎていく。

朝5時に起床。実家にいた時は二度寝していたけど今日はパン生地が待っている。 厨房にいき生地を確認する。よかった。いい発酵具合だ。予定よりも少し時間がかかっているけどこのまま何もなければいいパンが焼けそうだ。 全ての生地を成形する。生地と対話しながら一つ一つ。ここには何というか想いしかないのだけれど、それを込めて。 成形を終えた。次は窯に火を灯す。ここから一気に加速する。 部屋の温度も勢いよく上がる。始めた時は10°だったけれども窯を温め始めて50分で10°上昇した。これが北極だったら氷は全て溶けている。自然の力はそれほどまでにエネルギーに満ちている。人間がエネルギーを作らなくても。 1時間30分ほど窯に火を灯すとパン生地を窯に入れる合図がやってきた。ドリアンの田村さんに教えてもらった薪のくべかたにしたら燃費もいいし温度とすぐに上がる。感謝。 窯入れの時。1番緊張する瞬間だ。まして久々の窯入れ。ここで失敗すると全てが水の泡になる。パン生地を最後焼き上げる、目に見えない微生物たちが生命を全うしてもらうために。 今日も祈りを込めてクープを切った。この工程は祈りの時間とした。とても尊い行為だ。 フランスでは窯を女性の子宮に例える。そこから最後出てくるパンたちが人々の生命の糧となっている。窯でパンを焼くことはとても神聖な行為なのだ。それだけにパン職人たちは一つ一つの作業をミスなく最後パンを焼き上げることが唯一のミッションだ。 バタバタしたが窯入れが終わり窯出しまでの時間いろいろ整理や配達の準備に追われる。 20分後、窯の中の様子を見る。よかった。しっかりと膨らみ、焼き色もほのかについている。このままいけばいい状態でパンを窯からだせる。ホッと一息ついた。 その後問題なく2窯目でブリオッシュも焼くことができた。どうやらガメルというパーツに蒸気用の水入れておくと2窯目だと温度が下がるので水の蒸発が遅く焼き色がつきづらいようだ。 なるほどそれでグラの蓋があるのか。蒸気がある程度窯内に広がったらガメルを出してあげて蓋する。 すると焼き色がつき始めた。 これは1窯目でも応用できそうだ。 ミスなく焼き上げることができた。 あとは必要な人に送ったり届けるだけだ。ここからはパン職人から商売人に変わらないといけない。なかなか難しいけど、消費で完結する食料の担い手である限り避けられない。 ひたすらに寝ててもパンが焼けるぐらいにパンを焼こう。そうした先に何があるかわからないけど、焼こう。 淡路島の大和さんにはいつも感謝しかない。 ありがとう。 淡路島の帰り道。丹波の実家にパンを配達して帰路に着いた。 パンは全て誰かの元に届いた。 少しだけ緊張から解放され布団に入った。