春望 四月一三日 「日常にある光」
昨日の夜、寝る前のしとしとと降る雨の音が好きで心地よく眠れる。
朝、しとしとと降る雨の音を聞いて目が覚める。
寝る前、ベッドに入ったときに聞く雨の音は好きだ。
朝の雨の音は少し心がしょげる。
寝る前の雨音は僕にとってささやかな光だ。
早朝、気持ちよく起きれた時、まだ日が昇るかどうか、薄暗闇の中、庭に出る。
同時に動物たちの気配漂う夜から徐々に植物たちに日の光が当たろうとする時間帯、これは自分だけのトワイライトだ。
これも自分にとってのささやかな光だ。
友人とのたわいない会話。
気になる人を誘って食事に行けたとき。
思わぬありがとうの一言。
とあるバスの中で老人に席を譲る姿を見た時。
家族で囲む食卓。
子供の安らかな寝顔。
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どこにでも誰の側にも光はある。
今はそんな光が見やすくなっているのではないだろうか。
それは蛍光灯の眩い光でもなく、大金を払って手に入れた憧れのものでもなく、一過性の場への投資でもなく、もっと本質的な光だ。
「光」は、素朴だけれども根源的で継続性のある何かで、届いた方にその方なりの捉え方で光を感じてもらえるようなものにしたい。
その人なりに、一筋の光を解釈してもらえるような。