春望 四月十日 「残したいもの、残らないもの」
朝は一杯の水から始まる。
うちは幸いなことに美味しい水が蛇口を捻ると出る。
水が好きで山に汲みに行ったりもしていたけど、今はこの水で十分美味しいし安心してパンにも使えると思っている。
美味しいと思う水は味がない。全く主張してこない。それが主張なのだけれども。そういう水はなかなか出会えない。
うちで使う水はとにかく美味しさがある。それは丹波という地域が元々軟水が出る地域だからだ。
日本で取れる多くの水が軟水であるように日本人には柔らかい水が心地よく感じる。
パンには少し硬い水が合う、それは出身の違いだろうか。
飲んだ後何も残らない水のように、何も残らないパンがいい。
「光」にはそんな方向に向かう過程のパンが入る。
残したいことはする。
身体には残らないものを作りたい。