春望 四月九日 「足るを知る」
日の出前に目が覚め、変わらずにもう少し寝たいな、と思いながら眠い目を擦り、厨房に向かう。
扉を開けると少し違和感がある。部屋の温度を確かめるといつもよりかなり暖かい夜だったようだ。
慌てて捏ね桶の蓋を開き生地を確認するとコーヒーをいれる暇もなく生地が窯に入りたがっていた。
そこから焼き上げまでの速さはかなりのものだったようだ。気づいたら10時を迎えていた。打ち合わせの予定は明日だと記憶していたけれど念のため、メールを確認すると9:54に「後ほど楽しみにしています」というメッセージがあった。
打ち合わせは今日だったようだ。
先方に30分待っていただいて急いで窯出しをして準備した。
当初「光」はそのイメージに合うようなパンを作る、という主旨だったが2月14日、日記春望を書き始めた日から今日までで世界は一変してしまった。
不思議だけれども春望というタイトル、「光」という言葉は今、より強く自分の心に響く。
「光」を作る自分にも関わってくれる人にも僅かな隙間から漏れ出るような光が差し込むようなものにしようと舵を切った。
薪が届いた。
今使っている薪は近くの森林組合がうち用に細かく割ってくれたものだ。あと3〜4ヶ月はこれで保ってくれる。
全量で1200キロぐらいの薪を雨で濡れる前に窯の周りに積み重ねた。薪の乾燥と窯の保温も兼ねている。
それが終わると丁度パンも冷めた頃で梱包作業が始まる。
15時を迎えていた。
あまりにもお腹がすいたので昨日窯の余熱で調理した里芋に塩を振ってかじった。
美味しかった。感動するくらい美味しかった。
朝から何も口にしていなくて空腹のあまりに食べたからだ。
この感覚はスペイン巡礼中にお腹が空き切って歩けなくなって、バックパックに唯一残っていたカチカチのバゲットに前日の宿でもらったチョコクッキーを食べた時の美味しさに似ていた。
後にも先にもこの時食べたサンドイッチが自分が今まで食べたもので一番美味しかったものだ。感動したものかな。
美味しさに限らず大切なことは実は自分のすぐ近くにあるのかもしれない。
ただ少し、いろいろなことだったりものが溢れ過ぎていて見えにくくなっているのかもしれない。
今はもしかしたらそんな身近なことに光を当てる、そして本当に大切のことを見つめ直すタイミングなのかもしれない。
少なくともうちのパンはそんなふうにありたい。