春望 二月十八日 「終わりと始まり」
「光」を作り始めてしまったので終わりを決めなければならない。さて、終わりはどのようにやってくるのだろうか。人は命を全うすると終わるのだろうか。その後は旅立った君にしかわからない、暗闇が果てしなく広がっている無の状態なのかもしれない。光が差し込む豊かな場所なのかもしれない。
絵を描く人に尋ねてみたことがある。あの絵の終わりはどう決めるのですか?そう尋ねると、その方は少し黙って無愛想にこう言った。
「その時があるのよ。それはもう感覚。私が終わりと思ったら終わりなの。」
小さかった僕にはその時はあまりその答えがよくわからなかった。
パンを作り始めて感じるのだけれども、どこでそのパンを完成とするか、そこに答えはなかった。パンは焼き上げて誰かの元に届きそこには笑い声や些細な話、ちょっとした夫婦喧嘩、もしかしたらプロポーズの席かもしれない場所に同席して、その空間にいる人たちの命の糧となって終わりだと思うのだけれども、果たして自分が作るパンをこれが完成で終わりだ、そう決められる瞬間は来るのだろうか、いや、決められるのだろうか。作っては壊し、作っては壊し、その繰り返しにまた新たな光を見つけ進んでいく。
物づくりに終わりはない。
だけれども「光」には終わりを決めてあげなければならない。
光は少しずつ、少しずつだけれども誰の元にも届くものだから。