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Author: makibino

15日に淡路島で料理と一緒に使っていただくパンを仕込んでいる。「光」に向けての最初のパン焼きになる。開業当初は初夏だったこともあり発酵時間も読みやすかったが、帰ってきて季節は暖冬といえど寒い季節、空調設備や電気設備が最低限しかない厨房で発酵時間をコントロールするのはかなり難しい。 そんなわけで配送での送りは諦め、配達することにしている。ただこれは自分の甘さであって一日早く帰っていれば配送で間に合ったわけで、自分への教訓になった。 厨房に換気扇をつけるのと、大型の製粉機を入れるための打ち合わせにてつさんが来てくれた。ほぼボランティアにも関わらず快く引き受けてくれて本当に有難い。 そうこうしているうちにle fleuveの上垣くんと奥さんのゆかさん、そして生まれたばかりのちびっこのエマちゃんが遊びに寄ってくれた。 ちびっこには寒い厨房だったので暖を取るために窯に着火。 エマちゃんの初めて見る火はうちの窯の火だった。 ちょうどブリオッシュの仕込みをしていて手捏ねでのバターの生地への入れ方など教えてもらった。18°までバターを常温に戻して手で潰してクリーム状にしてから生地に練り込む。かなり楽に入る。今までこの作業がなかなかにしんどかった。ここにもまた光が差した。 人が来ると作業が進まないのは世の常なのか。気づけば19時を回っていた。 20時発酵開始で明日の朝5時ぐらいに発酵完了予定。 生地は三種類 挽きたての上野さんのライ麦を20%入れたカンパーニュ 小麦だけのブレ 田舎のブリオッシュ 明日は早い、少し眠ろう。 そういえば日記を書き初めて今日で1か月か。 1か月前の今から、1か月後の今まで僕は少しでも進めただろうか。

車の中で目が覚めた。 昨日は結局眠気に負けてあまり進めずに車中泊とした。 この「光」に向けての日記を書き始めて自分にたった一つだけルールを課すことにした。 それは文章を書き続けることだ。それは進み続けることと言ってもいい。 自分のことは自分で押すしかない。その一つの手段が日記だった。それも毎日書き続けることがルールだ。 毎日書くということは毎日何かしら前に進まないと、という気持ちに自分をさせてくれるし、そうすることで、今は「光」というパンのセットを作ることに進んでいる。 そう、この「日記」は自分のために書いているんだ。 その過程で興味を持ってこのセットを買ってくれる人がいたり、文章の内容が誰かの何かの役に立てば幸いだし、自分が読みたいと思うようなことを書くことももちろんある。 けれども、この日記は自分のために書いている。 「光」ができた時、また次のテーマに向かい書き始めることにしている。 それができたらまた次へ。 それはパンという形を通して、誰かに食べていただき初めて完結する。 パンを作るにあたって過度に手を加えることはない。 テーマが変わったから大きくパンの内容が変わることもない。 変わるのはその時々の季節や気温、湿度、そして自分の気持ちだ。 そういう物作りは機械にはまだ少し難しいのではないだろうか。 ひたすらに、人にしか、自分にしかできない物作りの形を今は探究する。 進み続けるために。 記録として3月12日のSNSの投稿をそのまま引用しておく。 進み続けること。 ダメダメな僕が唯一自分に課しているルールだ。 それでも僕の進み続けるはインターバルが長くて呆れられてしまうこともある。 だから時々こうして公に自分のことを鼓舞してあげる必要がある。 今回は風の又三郎からそろそろお尻を蹴りなさいと便りが届いた。 . . . スペインの巡礼路を歩くまでに2年。 歩き終えるまでに2ヶ月。 始まればあとは波に身を委ねるだけだ。 一度航海に出たら止まり続けることは難しい、それだといつまで経っても陸に到着しないし、しまいには海賊に捕まったり怖い魚に食べられてしまったり、食糧も底をついてしまう。 陸にあがっても道のりは長い。 そこからまた新しい旅が始まるからだ。 だから立ち止まっているわけにはいかない。 どんなに楽しくても、居心地がよくてもいつかは笑顔でお別れを告げて先に進む必要がある。 そんな中で出会った仲間と、またいつか会えた時にお互いの近況を焚き火を囲み、酒を片手に語り合う。 翌日にはまたお互いの旅に戻る。 進み続けるんだ。 未だ見ぬ人、物、場所を見るために。 綺麗でナイスバディーな女性に会うために(^^) . . . またね、僕の居心地の良い場所。

まさか今日も実家で目覚めることになるとは思わなかった。自分のミスなので虚しくなる。 早めに支度をして行きつけのカフェでコーヒーをテイクアウトして車で鎌ヶ谷まで向かう。 長い間取り置きしていただき有難い。担当の五十嵐さんはハード系のパンが好きだと言っていたので持ち帰ってきた最後のうちのパンを

変わらずに朝目覚める。もう家に何もないし、自分の家でもなくなった家で迎える最後の朝。 持ってきた自分のパンを厚切りに切って、エルダーフラワーをのせる。オリーブオイルがなかったから菜種油で代用してみたけど悪くない。仕上げに少しのルビーソルトをかける。このぐらいが丁度いい。 ふと、ガスを止める立ちあいと製粉機を鎌ヶ谷まで取りに行くタイミングが被っているのに当日気付き、尚且つ洗濯機をリサイクルセンターに運ばなくてはいけないので製粉機を取りに行くの今日諦めるしかなくなってしまった。 もう少し家に残れということだ、と自分に言い聞かせる。 そんなこんなで滞在日が1日増えてしまった。 相変わらず段取りが悪い。

三月九日 今日は自分にとってとても大切な日だった。 終わりと始まり。 オールはもう手の中にある。どう使うかは自分次第だ。今はこの微かに見える「光」に向けて漕いで行くことにする。 新しい始まり。ここからまた僕のパン焼きも始まる。 pray for … ヨーロッパの教会を回った日々が確かに今ここにある。

気付いたら布団で眠っていたようだ。昨夜は夜中の1時ごろに車で実家に到着。くたくたで布団を敷き少し横になったと思ったら気付いたら朝だった。しとしとと雨の音がする朝だ。 丹波を出る前の数日は低気圧の影響で天気が不安定だった。やっと晴れたと思って出発したがそのまま低気圧の移動と並行して戻ってきてしまったようだ。 諸々少しだけ残していた荷物を積み込んだら少し持ってきていたパンを友人に送ったり。 石臼の目立てができた旨の連絡を受けていたので夕方ぐらいに浅草橋まで取りに行くことに。これが都内の夕方かと言うほどに人通りは少なくコロナの影響を感じた。 しっかりと小麦用に目立てられた石臼は厳かな雰囲気を放っていた。 帰り道、せっかく浅草まできたのだから、と、蕪木でホットチョコレートをいただいた。 すっきりとしたチョコが空腹の胃に広がる。 肩肘張らず、固定概念に囚われず、自由に、だけど芯は変わらずに。「光」はそんなセットになる。

昨日仕込んだ生地を気にしつつ布団に入ったがなかなか寝付けない1時間でふと目が覚め、生地の様子を見に行く。久しぶりのパン焼きは緊張から始まった。 夜が深まるほど室温も下がっていく。暖冬と言っても丹波の冬だ。朝夜は少し湿っぽい冷たさが身に染みる。生地を寝かした木の桶を窯の側まで移動してできるだけ保温する。空調設備は粉の部屋にしかないので温める時はこういった方法を使ったりもする。原始的だ。一挙手一投足で思考の波が押し寄せる。パン生地も窯の温度も上昇する。まさに自分を追い込む。パンを焼き上げるために。 結局朝の7時まで生地の発酵を待った。季節が変わるとこうも生地の状態が変わる。終わりのない旅の中のようだ。 今回は種の調子を見るためのいわば試し焼きなのだけれども使う素材はいつもと変わらない。安くはない材料を使う。生産者への尊敬もある。失敗はできない。 生地の成形も終わり窯に火を焼べる。昨日少しだけ燃やしたとはいえ半年以上寝かしていた窯だ。温度が順調に上がってくれるか。 田村さんの薪の焼べ方を真似して常に火の勢いが途絶えないようにインターバルを少なくして薪を焼べる。室温の上がり具合と自分の身体、感覚が頼りだ。 1時間40分。窯からパンを焼けると合図が来た。今までで1番早い。このやり方はいいらしい。燃費も悪く無さそうだ。うちの窯は天井が低いからあと5分、早く準備できそうだ。 緊張しながらパンを籠から一つ一つ木製のピールに出していく。いろんなことが走馬灯のように過ぎる。 祈りと尊敬、感謝を、込めて十字を切った。 ここからまた旅は始まった。 ドキドキしながら20分後に様子を見るために窯を開けた。しっかり焼き色がつき、パンも窯伸びしている。一安心だ。あとは最後の見極めでどこまで焼き込むか。 時間の関係もあり窯出ししたパン。窯から出した後にそこまでのこのパンの物語を想像する。あのタイミングであぁしていたら、もう少し最後の発酵を長く取れたなぁ、あと5〜6分は焼き込めたなぁ、そんなことを妄想する。 こんな時に、あぁ自分はどうなってもパンを焼く星の下にあるのだなぁと思う。 さぁここからまた旅を始めよう。

日の光で目が覚める。やっぱり自然の光で起きるのは気持ちがいい。少しずつ動くモードにスイッチを切り替えていくので光で目を覚ませるのもあと少しかな。 寝る前に窯の前に置いておいた種の調子を見に行く。いい感じだ。匂いもいい。よかった。これで一回仕込んでみよう。種の調子をみるためだ。 9日に実家に帰る都合があるのでお世話になっているのりこさんと三木のお店でお昼を食べる約束をしていて出かけたのだけれどもお店についてから店主さんに、予約したの明日ですよね、と申し訳なさそうに言われてしまった。一日日付けを間違えていた。笑うしかないと店主さんと笑う。まだお客さんも来ていなかったので少しお話しができた。それはそれでそういう運命だったのだろう。休業前に冷凍しておいたパンを渡すことができた。明日の感想が聞きたい。 急いで帰り仕込みを始める。ライ麦も小麦のカンパーニュだ。光に入るカンパーニュは小麦だけのものにしようと思っている。 厨房の配置も変わりなかなか手探りの感じだけれどもそういうのが改めて好きなんだと思った。やってみてその都度考える、効率も悪くある程度段取りを決めた方がいいのだけれども。 パン屋は段取り8割だ。多くの仕事がそうだ。うちはパン屋ではないかもしれないな。 久々に15キロくらいの生地を仕込む。思い出すように粉と水、種、塩を合わせる。手で仕込むとその間に他のことはできない。ひたすらに目の前の混ざりゆく生地と向き合うことになる。尊い時間だ。その時の気持ち、身体の状態が手のひらからの体温で生地に伝わる。そう、手捏ねは機械では代替できないのではないかと思っていたりもする。 がむしゃらに捏ねることはなく、優しく、重ねる、生地の重さを利用してあげるだけでいい。 まだ夜は寒い。完成した生地に麻の布を被せて窯の近くに移動させてあげる。半袖で厨房にいると寒い。生地も同じだ。 室温19°、生地温23°。湿度が、、60パーくらいか。重要な記録だ。毎日の積み重ね。 少し休んだら成形の工程に移り窯の着火だ。 山下りの始まりだ。

今日も雨の音で目が覚める。昨日とは少し違うリズムだ。止んだり、また降ったり、風の音も。 昨日の種の調子を見にいく。やはりまだ発酵力が足りないし、乳酸菌も足らないようだ。ヨーグルトのような匂いはしない。 今日は淡路島に行きそのまま実家の引き渡しに立ち会うために帰る予定だ。種も持っていこう。寒いから毛布にくるんでね。 淡路に抜けるまで変な天気が続いた。雨が降ったと思ったら晴れたり、また降ったり、しまいにはみぞれが降って来た。もう冬も終わりでこの暖かさ。夏はどうなるのだろうか。気候変動は続く。それも○の一端だと思いたい。 淡路島に入ると一気に青空が広がり潮風が心地よい。少し風は強いけれどもお気に入りの音楽を流しながら車で走る海岸線沿いは最高だ。 お世話になっている大和さんに淡路の方々を紹介していただいた。みんなエネルギーに満ち溢れていて帰りぎわには自分がへとへとになっていることに気づいた。 お腹が空きすぎて神戸の吉野家に駆け込んだ。生姜焼き定食を食べてからカレーをお代わりした。よく食べられたものだ。 「光」は静かなものにしよう。パンもどれも静かなものに。一筋の光が見えるような。 まだ少し暗闇の中を歩く。