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3月 2020

配送を始める日。 試しに夏場の作り方に戻してみた。 種を多めに入れて短時間の発酵でリズムよく作るやり方だ。 生地を作るまでは良かった。生地が出来上がった後思いの外発酵が早い。季節が変わろうとしているのだ。 最後にブリオッシュを捏ねたのが失敗だった。バターや砂糖、卵など普通のブリオッシュに比べて割合は少ないがやはり重い生地になるので発酵が遅い。 けれどもカンパーニュとブレの発酵はスムーズにいっている。どこで成形するか迷う。 そうこうしているうちにカンパーニュから発酵完了の合図がきた。 生地を分割して成形。ブレも同じ工程を繰り返す。 ブリオッシュはまだこれからだったが種の量も多いのですぐに成形しても大丈夫だろうと安易に成形。そのあとも温かくなる厨房で2時間ほど置いたので大丈夫だろうと思っていた。 窯の中で洗った天板を乾かしているのを忘れてそのまま着火してしまった。グラ(火を吹くパーツ)は一度稼働したら火を落とさないと取れない。生地の発酵も待ってはくれないのでそのまま燃やし続けた。 1時間ちょっと燃やしてグラを外し窯入れ。 全体的に長時間発酵をとっていないので生地が小さく見える。 ブレは型には入れず布取りでやっている。ストレートだと生地がだれて難しい。やはりこのやり方は今の作り方には向いていない。 気づくとパンの作り方ばかりになってしまったけどこうやって「光」に向かっていく。 失敗は身銭を切ってでもしたい。 失敗でしか前には進めない。

朝、昨日仕込んだ種の状態を見にいく。 まだ発酵は完了していない。 やはり自然発酵でこういう環境でのパン作りは一朝一夕にはいかない。だから楽しい。 しばらくは時間を投資してパンに向き合ってやりやすく納得のいくやり方を、模索していこう。 種の発酵を待つ間、掃除やら事務作業やら明日の仕込みの計算をしてそれに合わせて麦も挽いた。自ずと自家製粉は挽きたてを使えることになった。製粉量が増えたらもう一台の製粉機を稼働させよう。 夜、もう一段階種を繋ぎ明日に備えて布団に入った。 バタバタと一日が過ぎていく。

朝5時に起床。実家にいた時は二度寝していたけど今日はパン生地が待っている。 厨房にいき生地を確認する。よかった。いい発酵具合だ。予定よりも少し時間がかかっているけどこのまま何もなければいいパンが焼けそうだ。 全ての生地を成形する。生地と対話しながら一つ一つ。ここには何というか想いしかないのだけれど、それを込めて。 成形を終えた。次は窯に火を灯す。ここから一気に加速する。 部屋の温度も勢いよく上がる。始めた時は10°だったけれども窯を温め始めて50分で10°上昇した。これが北極だったら氷は全て溶けている。自然の力はそれほどまでにエネルギーに満ちている。人間がエネルギーを作らなくても。 1時間30分ほど窯に火を灯すとパン生地を窯に入れる合図がやってきた。ドリアンの田村さんに教えてもらった薪のくべかたにしたら燃費もいいし温度とすぐに上がる。感謝。 窯入れの時。1番緊張する瞬間だ。まして久々の窯入れ。ここで失敗すると全てが水の泡になる。パン生地を最後焼き上げる、目に見えない微生物たちが生命を全うしてもらうために。 今日も祈りを込めてクープを切った。この工程は祈りの時間とした。とても尊い行為だ。 フランスでは窯を女性の子宮に例える。そこから最後出てくるパンたちが人々の生命の糧となっている。窯でパンを焼くことはとても神聖な行為なのだ。それだけにパン職人たちは一つ一つの作業をミスなく最後パンを焼き上げることが唯一のミッションだ。 バタバタしたが窯入れが終わり窯出しまでの時間いろいろ整理や配達の準備に追われる。 20分後、窯の中の様子を見る。よかった。しっかりと膨らみ、焼き色もほのかについている。このままいけばいい状態でパンを窯からだせる。ホッと一息ついた。 その後問題なく2窯目でブリオッシュも焼くことができた。どうやらガメルというパーツに蒸気用の水入れておくと2窯目だと温度が下がるので水の蒸発が遅く焼き色がつきづらいようだ。 なるほどそれでグラの蓋があるのか。蒸気がある程度窯内に広がったらガメルを出してあげて蓋する。 すると焼き色がつき始めた。 これは1窯目でも応用できそうだ。 ミスなく焼き上げることができた。 あとは必要な人に送ったり届けるだけだ。ここからはパン職人から商売人に変わらないといけない。なかなか難しいけど、消費で完結する食料の担い手である限り避けられない。 ひたすらに寝ててもパンが焼けるぐらいにパンを焼こう。そうした先に何があるかわからないけど、焼こう。 淡路島の大和さんにはいつも感謝しかない。 ありがとう。 淡路島の帰り道。丹波の実家にパンを配達して帰路に着いた。 パンは全て誰かの元に届いた。 少しだけ緊張から解放され布団に入った。

15日に淡路島で料理と一緒に使っていただくパンを仕込んでいる。「光」に向けての最初のパン焼きになる。開業当初は初夏だったこともあり発酵時間も読みやすかったが、帰ってきて季節は暖冬といえど寒い季節、空調設備や電気設備が最低限しかない厨房で発酵時間をコントロールするのはかなり難しい。 そんなわけで配送での送りは諦め、配達することにしている。ただこれは自分の甘さであって一日早く帰っていれば配送で間に合ったわけで、自分への教訓になった。 厨房に換気扇をつけるのと、大型の製粉機を入れるための打ち合わせにてつさんが来てくれた。ほぼボランティアにも関わらず快く引き受けてくれて本当に有難い。 そうこうしているうちにle fleuveの上垣くんと奥さんのゆかさん、そして生まれたばかりのちびっこのエマちゃんが遊びに寄ってくれた。 ちびっこには寒い厨房だったので暖を取るために窯に着火。 エマちゃんの初めて見る火はうちの窯の火だった。 ちょうどブリオッシュの仕込みをしていて手捏ねでのバターの生地への入れ方など教えてもらった。18°までバターを常温に戻して手で潰してクリーム状にしてから生地に練り込む。かなり楽に入る。今までこの作業がなかなかにしんどかった。ここにもまた光が差した。 人が来ると作業が進まないのは世の常なのか。気づけば19時を回っていた。 20時発酵開始で明日の朝5時ぐらいに発酵完了予定。 生地は三種類 挽きたての上野さんのライ麦を20%入れたカンパーニュ 小麦だけのブレ 田舎のブリオッシュ 明日は早い、少し眠ろう。 そういえば日記を書き初めて今日で1か月か。 1か月前の今から、1か月後の今まで僕は少しでも進めただろうか。

車の中で目が覚めた。 昨日は結局眠気に負けてあまり進めずに車中泊とした。 この「光」に向けての日記を書き始めて自分にたった一つだけルールを課すことにした。 それは文章を書き続けることだ。それは進み続けることと言ってもいい。 自分のことは自分で押すしかない。その一つの手段が日記だった。それも毎日書き続けることがルールだ。 毎日書くということは毎日何かしら前に進まないと、という気持ちに自分をさせてくれるし、そうすることで、今は「光」というパンのセットを作ることに進んでいる。 そう、この「日記」は自分のために書いているんだ。 その過程で興味を持ってこのセットを買ってくれる人がいたり、文章の内容が誰かの何かの役に立てば幸いだし、自分が読みたいと思うようなことを書くことももちろんある。 けれども、この日記は自分のために書いている。 「光」ができた時、また次のテーマに向かい書き始めることにしている。 それができたらまた次へ。 それはパンという形を通して、誰かに食べていただき初めて完結する。 パンを作るにあたって過度に手を加えることはない。 テーマが変わったから大きくパンの内容が変わることもない。 変わるのはその時々の季節や気温、湿度、そして自分の気持ちだ。 そういう物作りは機械にはまだ少し難しいのではないだろうか。 ひたすらに、人にしか、自分にしかできない物作りの形を今は探究する。 進み続けるために。 記録として3月12日のSNSの投稿をそのまま引用しておく。 進み続けること。 ダメダメな僕が唯一自分に課しているルールだ。 それでも僕の進み続けるはインターバルが長くて呆れられてしまうこともある。 だから時々こうして公に自分のことを鼓舞してあげる必要がある。 今回は風の又三郎からそろそろお尻を蹴りなさいと便りが届いた。 . . . スペインの巡礼路を歩くまでに2年。 歩き終えるまでに2ヶ月。 始まればあとは波に身を委ねるだけだ。 一度航海に出たら止まり続けることは難しい、それだといつまで経っても陸に到着しないし、しまいには海賊に捕まったり怖い魚に食べられてしまったり、食糧も底をついてしまう。 陸にあがっても道のりは長い。 そこからまた新しい旅が始まるからだ。 だから立ち止まっているわけにはいかない。 どんなに楽しくても、居心地がよくてもいつかは笑顔でお別れを告げて先に進む必要がある。 そんな中で出会った仲間と、またいつか会えた時にお互いの近況を焚き火を囲み、酒を片手に語り合う。 翌日にはまたお互いの旅に戻る。 進み続けるんだ。 未だ見ぬ人、物、場所を見るために。 綺麗でナイスバディーな女性に会うために(^^) . . . またね、僕の居心地の良い場所。

まさか今日も実家で目覚めることになるとは思わなかった。自分のミスなので虚しくなる。 早めに支度をして行きつけのカフェでコーヒーをテイクアウトして車で鎌ヶ谷まで向かう。 長い間取り置きしていただき有難い。担当の五十嵐さんはハード系のパンが好きだと言っていたので持ち帰ってきた最後のうちのパンを

変わらずに朝目覚める。もう家に何もないし、自分の家でもなくなった家で迎える最後の朝。 持ってきた自分のパンを厚切りに切って、エルダーフラワーをのせる。オリーブオイルがなかったから菜種油で代用してみたけど悪くない。仕上げに少しのルビーソルトをかける。このぐらいが丁度いい。 ふと、ガスを止める立ちあいと製粉機を鎌ヶ谷まで取りに行くタイミングが被っているのに当日気付き、尚且つ洗濯機をリサイクルセンターに運ばなくてはいけないので製粉機を取りに行くの今日諦めるしかなくなってしまった。 もう少し家に残れということだ、と自分に言い聞かせる。 そんなこんなで滞在日が1日増えてしまった。 相変わらず段取りが悪い。

三月九日 今日は自分にとってとても大切な日だった。 終わりと始まり。 オールはもう手の中にある。どう使うかは自分次第だ。今はこの微かに見える「光」に向けて漕いで行くことにする。 新しい始まり。ここからまた僕のパン焼きも始まる。 pray for … ヨーロッパの教会を回った日々が確かに今ここにある。

気付いたら布団で眠っていたようだ。昨夜は夜中の1時ごろに車で実家に到着。くたくたで布団を敷き少し横になったと思ったら気付いたら朝だった。しとしとと雨の音がする朝だ。 丹波を出る前の数日は低気圧の影響で天気が不安定だった。やっと晴れたと思って出発したがそのまま低気圧の移動と並行して戻ってきてしまったようだ。 諸々少しだけ残していた荷物を積み込んだら少し持ってきていたパンを友人に送ったり。 石臼の目立てができた旨の連絡を受けていたので夕方ぐらいに浅草橋まで取りに行くことに。これが都内の夕方かと言うほどに人通りは少なくコロナの影響を感じた。 しっかりと小麦用に目立てられた石臼は厳かな雰囲気を放っていた。 帰り道、せっかく浅草まできたのだから、と、蕪木でホットチョコレートをいただいた。 すっきりとしたチョコが空腹の胃に広がる。 肩肘張らず、固定概念に囚われず、自由に、だけど芯は変わらずに。「光」はそんなセットになる。