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春望 二月一七日 「尊い円を描くように」

今日は東京まであるものを受け取りに行った。実家に帰ってきて電車では何回か訪れていたけれども車で行くのは久しぶりだ。

帰ってきていろいろなご縁をいただいたのだけれども、再開後、直接パン作りに大きく影響してくることは石臼が大きくなることだろう。

今日は国産の石臼の引き取り日だった。長くやられていたお蕎麦屋さんが店を閉めるということで使われなくなってしまった石臼だ。ミツカさんという会社のもので本社が浅草にあり、帰りに寄らせていただいて目立てを小麦ようにしてもらうようにお願いすることができた。突然の連絡だったにも関わらず快く引き受けてくれた社長さんには感謝しかない。お話させていただくといろいろとご縁がある方で世間は狭いなぁと感じた。ミツカさんの石臼を使うパン屋がマイノリティーなのでそれもそうかとも思った。

石臼で小麦を挽くという行為は古代メソポタミア以前まで遡るのではいないだろうか。それこそ硬い小麦は数少ない栄養源の一つで生命の糧だったのだろう。硬いままでは食べられないので落ちている石で磨り潰し始めたことが起源なのだろうか。そこで磨り潰して粉になった小麦粉になんらかの影響で水がかかった。雨になる小麦が入っていたところに雨が降ったのではないだろうか。そのまま放置された小麦粉は数時間、いや数日経つと何やら果実のような甘みと酸味を伴う匂いを放ち始めた。さすがに生では食べられないと知っていた古代人達はそれを適当に丸めて焼いた。なんとも言えぬいい香りで焼き上がったそれがパンの起源なのではないだろうか。こういう妄想はいつしても楽しく夢がある。古代に想いを馳せる。

少し専門的な話だけれどもどうやらヨーロッパの石臼と日本の石臼では挽かれた小麦の性質が少し変化するらしい。ヨーロッパ式の高速回転の石臼を使った後に日本製の低速の石臼を使うとパンの生地がダレるようだ。これは酵素が大きく関与しているようで低速の石臼は小麦の酵素が残っていて発酵途中で酵素分解が起こりやすいのではないか、という見解だ。

何が良い悪いということではなく、酵素分解による小麦の甘みの醸し方と発酵による甘みの醸し方とその中間と、そこに乳酸菌と酵母菌の生存競争が絡み合うと終わりのない旅のようだ。

……………..

先日○のお話を聞いた。

全ては○である。太陽がが登りそして沈み夜がやってくるそしてまた太陽が昇るように。良い時もあれば落ちる時もある。そんなお話だった。

ふいに、今日思い出した。

石臼もまた綺麗な○を描いている。それは生命の糧である小麦を挽く尊いものだ。ゆっくりゆっくり、小麦にできるだけ負荷がかからないように。さら、さら、さら、そんな優しい澄んだ音を立てながら。

そんな音を想像しながら今日は眠ろう。